ところが、阿部が大学生たちに、「地元と聞いて思い出すものは何ですか?」というアンケートをとったときに返ってくる答えは、「イオン」「ミスド(ミスタードーナツ)」「マック」「ロイホ(ロイヤルホスト)」などである。この答えは驚きである。なぜなら、これらのものに、地元的な固有性はいささかもないからである。むしろ、これらは、それぞれの地方に固有な特殊性が、とりわけ希薄なものばかりである。ミスドもマックも、日本中、どこにでもある(場合によっては、世界中にある)。とすると、若者たちは、「地元がいい」と言いつつ、特に地元にもどらなくてもいくらでも見つかるような場所や施設を思い浮かべていることになる。

 それならば、彼らは、地元の何に魅力を感じているのか。かつてだったら、田舎に回帰する者たちは、その地域に根ざした共同性や人間関係に愛着をもっていた。しかし、阿部の調査は、ここでも、過去のイメージがあてはまらないことを示している。その調査によると、地方にいる若者たちの圧倒的な多数が、つまり調査対象となった若者のおよそ4分の3が「地域の人間関係は希薄である」と答えている。他の人間関係については、希薄だと答えている者の率は、はるかに低いので(満足していない者の比率は、家族関係に関しては、およそ5分の1、友人関係については1割未満しかいない)、彼らは、地域の人間関係に対して、ことのほか背を向けている、ということになる。地域の共同性が好きでもないのに、わざわざ地方にとどまっているのだ(ついでに指摘しておけば、本書の後半に、2012年におこなわれた、東日本大震災で被災した3県の調査が紹介されており、それによると、「近所の人」が頼りになったと答える人の率が最も低いのは、人口10万代の地方中小都市で、通念に反して、大都市の方が「近所の人」への信頼度が高い)。

 地元のイメージが託されているものは、どこにでもある施設で、地元の地縁共同体にも参加意識をもてないのだとすると、若者たちはなぜ地元を志向するのだろうか。阿部が調査をもとに結論していることは、わりと穏当なものである。すなわち、1990年代以降のモータライゼーションが生み出した、大型ショッピングモールが立ち並ぶ郊外が、地方の若者たちにとって「ほどほどの楽しみ」を与えてくれるためだ、と。要するに、駐車場が完備した、国道沿いのイオンモールで遊べば、そこそこ満足できる、というわけだ。地方都市は、余暇の楽しみのための場所がない田舎と刺激が強すぎる大都市との中間にある「ほどほどパラダイス」になっている、というのが、本書の前半の「現代篇」の最も重要な主張である。さらに、あまり明示的には語られていないことを付け加えておけば、そのほどほどパラダイスで鍵となっている人間関係は友人関係、もっとはっきり言うと、中学や高校のときの同級生の関係であろう。

“IT業界ベンチャーで聞いた怖い話。仲間内でワイワイやってた会社が急成長して、コンサル語を喋る意識高い族が入社してきて、元からいた人が居づらくなって段々やめて最後に技術力が無くて意識高い人だけが残る。なんて恐ろしいんだ。この世の地獄だ。”